越野商店の種
種屋の坂本さんは年に二回春と秋の種まきの頃にやってくる。大きな袋いっぱい新しい野菜や花の種を持って来る。
母に言われて、小学生の私は新しい秋蒔きの種を種棚の枠に差し込んでいく。好きな花、美しい絵のパンジー、スィートピィー、きんせんか、ひな菊、かすみ草
、なでしこ、やぐるまそう、はじめて見るようなカタカナの名前の花の袋をひとつひとつきれいに並べ、種棚は花が咲いたようになった。私は遠くからながめ、黄色い花の種の位置を上の方に集めたりした。
そんな種棚を見た母は、あらまあ、といった。花の種はちょびっとでいいから大根や人参など野菜の種をならべんとあかんがや、という。
私は泣きたいような気持ちで花の種と大根など野菜の種と交換していく。
店に来た小浜のおつやさんが「青首を蒔くときが来たかねえ」といって大根の種を買っていく。栄寿丸のきみさんも「人参は5寸がいいよ」と種を買っていく。花の種はここらではほとんど買う人はいない。
坂本さんが去年の売れ残った種袋を裂いている。花の種のほとんど野菜の種だって大きな袋いっぱい残っているのを坂本さんは惜しげもなく袋の端を5pくらい裂く。
このいっぱいの古い種どうするの?
これ?みんなあげるよ。古い種だけど大丈夫。蒔けばちゃんと芽が出るよ。坂本さんは笑っている。
これみんな!
ひまわり、朝顔、百日草、千日紅、マリーゴールド、羽毛けいとう、ほうせんか、松葉牡丹、サルビア、
コスモス、日々草、アスター、帝王貝細工など夏から秋にかけての花の種の袋がわたしのもの!
西瓜や胡瓜や瓜やメロンだって!
それからの私は種を持ち歩いた。学校の行きや帰りに、朝顔の種を手のひらに乗せて、気まぐれの風に運んでもらう。海側の道を歩きながら種を握った手をぱっと開く。おおまわりして山側を歩きながら、後ろ手に、走りながら、手を上げてホウセンカの種を零していく。
ノブちゃんの家の庭にはコスモスの種を蒔いてあげる。 憎らしいマサノリの家に向かって西瓜や胡瓜や朝顔のつる性の種を投げて一目散に逃げた。玄関につるが生えてマサノリが出られなくなったらいい。私はちょっと魔法使いの気分。
私のひそやかな企みはどのくらいつづいたのだろうか。風にまかせて、時をかまわず蒔いた種は発芽したのだろうか。マサノリは平気な顔をしてクラスにいるし、ノブちゃんもコスモスの話なんかいわない。道草の道はいつもの道。
大きな袋の中の種はまだいっぱいあって、どうしていいかわからない。なんだか宿題のようにいつまでも気持ちのかたすみにあるのだった。
坂本さんがにこにこと春蒔きの種を抱えてきたのを見た時、私はただただ海の方に走っていた。