「新しい音楽はないものか!」 

                                     江頭 義之
                            ( 2000年7月30日 記 )

誰もが楽しめ感動する「新しい音楽」を求めています。

クラシック、ジャズ、ロック、ポップス等、様々な音楽があります。そして、その中にのめり込むとそれなりの面白さ醍醐味があり、楽しめる訳ですが‥‥。

私はクラシックの世界で長年冷飯を食ってきた故に、現在の日本のクラシック音楽界の状況を杞憂しております。何故なら、そこには、あまり先が見えてこないからです。その状況とは、簡単に言うと、「バッハ、ベートーヴェン、ショパン等の素晴しい作品群とその再生演奏のみで成り立っている」からです。バッハ、ベートーヴェン、ショパン等を否定している訳ではありません。現代のクラシック音楽に於ける生きずいた作品があまりに行き詰まっている様に私には見えるからです。

御存じのように、クラシック音楽は西洋の合理主義精神と市民社会から発展を遂げた音楽です。要約すると、元は専制君主時代、バロック時代のバッハから始まり、ハイドン、ベートーヴェン等の古典主義を経て市民権を得、ショパン、シューマン、リスト等のロマン派でその栄華を極め、その和声変遷がワグナー、マーラーで頂点に達し、シェーンベルク以来、その様相が混沌としています。近代音楽家、ドビュッシー、ストラヴィンスキー等が可能性を勇気づけてくれたとは言え、その後の所謂「現代音楽」で聴衆達の(同時代作曲家達への)クラシック離れが始まりました。現在に於いては、「過去の偉大なる名曲とその演奏」がほとんどをしめています。クラシック音楽の本質的な性格上、作品と演奏とが、同時代人にリアルタイムに受け入れられる「新たな盛り上がり」はもう望めないのでしょうか?

ジャズやポップスにせよ、本質的には似たような状況かも知れません。商業化ペースを無視しては何時の世でも成り立たない訳ですから。

音楽がその音楽を主体として我がもの顔でまかり通っていた時代は、19世紀で終わったんでしょうか? 20世紀に入り、音楽は映像や意味性(文字化)を無くして表現できなくなったのでしょうか? あるいは、現代人がもはや一つの表現形態だけでは、満足できなくなってしまったのでしょうか? 美術(ビジュアル)、音楽(サウンド)、文学-言語(ロゴ)の総合形態でなければ現代のマスコミ商業主義からは時代遅れになってしまうのでしょうか?

「本流からのアウトサイダーが次の本流を作る」とカッコいい事を経済学者、浅田彰がどこかの紙面で言っていましたが、その通りだと思います。

「一流」はどの分野でも、又いつの時代でも素晴しい。これは明白な事実。私は、その芸術分野での一流の規模が、(世界的に見ても)だんだんと小さくなっている様な気がするのです。時代的なものでしょうか? それとも、ちっぽけな私の視野だからそう映るんでしょうか?

現在の状況をウジウジと愚痴ってるだけでは何も始まらないので…、私は、少しでも楽しくなるように活動しているつもりです。

「新しい音楽はないものか!」について、皆さんの意見をお聞かせ下さい。専門家以外のいろいろな方からのコメントをお待ちしています。(掲示板にお書き下さい!)

以上。2000年7月のコメント